さて、京都である。
たった40分で名古屋から京都についてしまった。
新幹線では旅情もへったくれもないが、車や在来線でひーこら言いたいと思わないので、これでよし。
全ては実質なのである。私達の生活に実質が伴っていればそれでいいのだ。
坂口安吾もそう言っている。
で、北野天満宮が目の前にある。
しかも今日は天神様の日である。
この神社が祭っているのは、左遷されて北九州に送られたとある学者高級貴族の御霊である。
なんでも拝むと頭が良くなるらしいが、30過ぎたおっさんにも効力があるのはか不明だ。
しかし、粗略に扱うと鉄風雷火の限りをつくして相手を呪うそうなので性質が悪い。
最近の漫画のキャラクターにもこんな奴はいない。
LEICA SUMMICRON 50mm f/2
山門を潜って振り返るとこんな感じ。
かなりの賑わいである。
ちなみに今日は平日の昼間だ。
LEICA SUMMICRON 50mm f/2
本殿はこちらです。
さすがに莫大な数の観光客が来るだけあって、隅々まで手入れされている。
LEICA SUMMICRON 50mm f/2
先ほど拝むと頭がよくなると書いていたが、ご利益はそれ以外にもあるので安心されたい。
それにしても、日本人は神様が好きだ。
無自覚な原理主義者とでも言うべきか。
日本人は宗教に寛容というが、それは嘘なので信じてはいけない。
廃仏毀釈やら隠れキリシタンやら、折に触れてキチガイじみた宗教弾圧をやらかしている。
誰も真面目に考えていないだけだ。
そういえば、戦時中は占領した東南アジアの各地に神社を建てて回ったそうだが、イスラム教の強いインドネシアあたりで、そういうことをやったらどうなるか分かっていたのだろうか?
LEICA SUMMICRON 50mm f/2
それにしたって、人々の祈る姿は美しいものだ。
LEICA SUMMICRON 50mm f/2
天神様の日だからか、やたら宮司の姿を見る。
LEICA SUMMICRON 50mm f/2
歩く姿にも儀式的な意味があるらしい。
全ての挙動が計算されている。足の出すタイミングが全部同じなのだ。歩幅も均質である。
LEICA SUMMICRON 50mm f/2
全く同じ歩調で歩き去っていく。相当訓練をつんでいると見た。
LEICA SUMMICRON 50mm f/2
さて、天神様の日は縁日である。
骨董市もでる。
古都だけあって、この骨董市が凄まじい規模なのだ。
LEICA SUMMICRON 50mm f/2
ところせましと古物が並べられている。
大須骨董市の規模を3倍以上にしたよりもまだ多い。
LEICA SUMMICRON 50mm f/2
それを見る観光客だが、日本人よりも外国人の方が確実に多い。
それも中国人が圧倒に多い。
しかし、買い物に使う言葉は英語である。
店の人も心得たもので、英語で値段交渉をする。ひょっとすると、このへんの店を出しているおじさん、おばさんはそこらへんの英語教師よりも英語が上手いかもしれない。
LEICA SUMMICRON 50mm f/2
出展数が多いが、カメラの出物はそれほどない。
専門にしている店が一つあったぐらいか。
イエネコさんに手土産に一つレンズを買っておく。FDマウントの50mmF1.4SSCだ。
古物以外にも野菜やら漬物の類も多い。
とはいえ、まだ旅は始まったばかりだ。野菜を持ち歩くわけにもいかぬ。
LEICA SUMMICRON 50mm f/2
ほかに何か、いいものはないかなー
LEICA SUMMICRON 50mm f/2
特にない。絵は良いものが撮れたが。
LEICA SUMMICRON 50mm f/2
京都だけあって、古着の着物は充実しているようです。
LEICA SUMMICRON 50mm f/2
まだまだ旅は続くけれど、懸念事項は空模様
今日はこんなところで
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